韓国京畿道加平郡にある通りの一部に「平和路」(ピースロード)の名が付けられることになり、このほどUPF-Korea、加平郡平和大使協議会などの主催、企画による制定式(除幕式)が開催されました。 

 「平和路」は、今年、朝鮮戦争72周年を迎える中で、参戦した勇士らの犠牲を称えるために加平郡が制定した名誉道路(※)で、約12kmの区間。同区間は、顕忠塔や英連邦参戦碑など各種の参戦記念碑が設置されたエリア。UPF-Koeaでもこれまで、さまざまなイベントやピースロード活動を通じ、今日の韓国の平和と発展に通じる同戦争での参戦兵士を称え、その偉業を語り継ぐイベントを行ってきました。 

 この日の制定式には、キム・ソンギ加平郡守(郡長)(=写真下)、チェ・チュンシク国会議員、ソン・グァンソク南北統一運動国民連合中央会長、ユク・ドウス平和大使協議会会長、同郡議員、および郡民など約100人りが参加しました。 

 キム郡守は、「加平は6・25韓国動乱(朝鮮戦争)の際、激しい戦闘が繰り広げられた場所であり、韓国軍と共に米国・英国・オーストラリア・カナダ・ニュージーランドなどの兵士が献身と犠牲で韓国を守った地だ」と述べ、「名誉道路名として『平和路』と名付けることで、彼らの犠牲を永遠に記憶し、忘れないだろう」と強調しました。 

 チェ・チュンシク議員は、「平和路制定を通じ、歴史的教訓と価値に再び光をあて、市民の意識が継承、発展することを期待する」として、「加平郡民が自負心と誇りをより一層高める機会になるのを希望する」と話しました。 

朝鮮戦争当時、加平郡は共産主義勢力が首都ソウルに侵入する主な経路であり、戦略的要衝地だったために多くの戦闘が繰り返されました。 特に、中国共産軍の攻勢にあった際には、国連司令部所属のカナダ、オーストラリア、英国、ニュージーランド軍が、猛烈に対抗して侵攻を阻止したといいます。 

※「名誉道路」は、法定道路名とは異なり、行政上の住所で使用されることはなく、企業誘致や国際交流、歴史的な人物や地域文化などを称えるために制定する通称です。